スペインの星、Ramon y Cajal  (2006.8.1[Tue])


    理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 形態進化研究グループ  倉谷滋

 

 SF小説家、星新一氏の祖父にあたる小金井良精博士が若き日に師事したドイツきっての細胞学者Waldeyer。この先生は何を隠そう、「神経細胞(ニューロン)」の語を作り出した学者である。一方、ニューロンの存在を実際に示し、Waldeyerを刺激したのはスペインに生まれた孤高の研究家、Ramon y Cajal。Cajalは、神経の「網状説」(神経細胞同士の原形質が互いにつながっているという説)を主張していた宿敵、Camillo Golgi(渡銀染色法を開発したイタリア人細胞学者。「ゴルジ体」にその名をとどめる)に対抗し、独立した神経細胞を単位として神経系が構成されるという、いわゆる「ニューロン説」を問い、Golgiとともに1906年ノーベル賞に輝く。そして、Cajalはその発見をしたためた歴史的論文(Nuevo concepto de la Histología de los centros nerviosos = New concept of the histology of the central nervous system)の別刷りの1冊に、「ニューロンの命名者Waldeyer博士へ、ニューロン説の提唱者Cajalより」という、サイコーにクールな台詞をつけてWaldeyerに送る。そしてWaldeyerがこの世を去ると、小金井がその蔵書を買い取り、東京帝国大学医学図書館に寄贈。以来そのコレクションは「ワルダイエル文庫」と呼ばれることとなった。つまりその、「世界にただ1冊の記念的別刷り」は、今でも日本国内にある、、、という奇しき運命の配剤を読者はご存じか(このいきさつについては、萬年甫編著「神経学の源流2・ラモニ・カハール(東大出版会)」を参照のこと。かくいう私も、萬年博士の講演で上の話を聴き知った)。

 回りくどい書き出しになったが、今回紹介するのはRamon y Cajal著、「Histology of the Nervous System of Man and Vertebrates Vols. 1 & 2(1995)」である。元来スペイン語で書かれたものだが、Azoulayによるその仏語翻訳版が1952年の「Histologie du Système Nerveux de l'Homme & Vertébrés 」であり、上記の英語版は、さらにその仏語版を底本としてNeely SwansonとLarry W. Swansonがやっと10年前(1995年)になって翻訳したものである。言語だけでなく、仏語版には扉のCajalの大判顔写真やいくつか着色図版を含むという違いがある。以下は本書を巡る私の探書経験である。Cajalのドラマチックな人生を語るだけの知識も神経発生学の蘊蓄も、残念ながら私にはない。

 というのも、実は私は上の本を2セット持つはめになったのだ。別にCajalの熱狂的ファンというわけではない。が、どうにもタイミングが悪く、こういうことになってしまった。しかし、これは運というより、一種必然であったらしい。私がアメリカで研究していた1990年代、発生生物学に分子生物学や分子遺伝学を始めとする様々な技術が応用され、なかでも神経発生に関する知見が急速に蓄積されていた。「どのニューロンが、どこに、どのような機構でもって特異化されるのか」という最も重要な問いに対し、分子レベルの解答が本格的に得られ始めていた頃である。「脊索が神経管にfloor plateを誘導し、それがさらに運動ニューロンを誘導する。そこに関わる誘導因子が、脊索、floor plateの両者に由来するsonic hedgehogである」という発見がなされたのもこの頃である。いうまでもなく、このような研究が可能となるためには、各種ニューロンを染め分ける抗体コレクションの充実、実験テクニックの整備がなければならない。それらが整った時代だった。いきおい、神経発生学の精密さは形態学のそれに肉薄し、ついには追い越してしまうことになる。分子・細胞レベルで前脳の中に「見えない分節」が見いだされたのもそれだ。いまそれは仮にprosomeresと呼ばれている。研究がこのように発展するとき、関連した先人の業績が発掘され、見直され、大きくクローズアップされることがある。上に揚げたCajalもそういった偉人たちの一人であった。

 あれは発生生物学がそんな発展をしている真っ最中の1991年。機会あって、「世界でも3本の指に入る」といわれる米国コロンビア大学医学図書館の書庫を漁っていたとき、私はCajalの「Histologie du Système Nerveux… 」が3セットもおいてあるのを見つけ、つい図版に見入ってしまった。渡銀染色に基づいた描画の数々。しかもそのいくつかは背腹が逆さまになっている...。訳がわからない...。当然、私はこれがどうしても欲しくなった(ちなみに、ここではKupfferによるメクラウナギ胚のモノグラフも発見。「なぜあのとき丸ごとコピーしなかったか」とのちに悔やんだ)。早速ジョージアの自宅に帰ってから、行きつけの古書探書サーヴィスに探書依頼した。以前にもこの会社には、Kappers, Huber, Crosbyによる名著、'The Comparative Anatomy of the Nervous System of Vertebrates, Including Man'(MacMillan, 1936)を見つけてもらい、比較的安く入手していたのだ。思いの外返事は早く、「状態のいいものが見つかりました。700ドルです」とのこと。元来書籍に関しては金に糸目はつけないことをもって美徳としていたのだが、思わずこの金額では返答に窮し、不覚にも1週間待ってしまった。と同時に、それまで大して高い本など買ったことがない自分にも気づかされた。7割ほど買うつもりになって問い合わせると、「残念ですが、他のお客様に先を越されました」。やはりこれを探している同業者は他にもいる。私はただ悔しがるだけであった。 

 それから半年もたたないうちに、同じ業者から連絡を受け、「例の本がまた見つかりました。状態は良好」とのこと。私は迷わず小切手を送り、ついに念願のCajal本を手に入れた。フランス語など、囓ったことはあるが基本的には読めない。しかし、英語に似ているから何とかなるだろう。とにかくあの図版を自分のものに出来たという充実感でいっぱいだった。そして帰国し、熊本大学に職を得た翌年、近所の本屋で英訳版の出版を知ったという次第。しかも仏語版の半額以下(!)。もう買うしかないだろう。何しろ読みこなせる言葉で書いてあるのだ。

 思うに、これと似たような経験をした研究者は意外と多いのではないだろうか。当時、神経発生学の歴史に耽溺していた研究者なら、「Cajalのあの教科書を自分のものにしたい」と思ったことだろう。そして、私と同じような方法でそれを探しただろう。同時にそのことは、出版業界においてこれを英訳する必要性を促しただろう。他領域の古書でも同じことがある。必死に探したあげくに見つけた古本を大枚払って購入し、その直後、それが復刻され愕然とする。早い話が、私は単に流行に取り込まれていただけなのだ。とはいえ、私のようなカモがいるからこそ、英訳版Cajalがいま安く読めることも確かなのだ。研究者ならたまには古本を漁り、低迷気味の日本出版業界を間接的に活性化させるべきではなかろうか、自らカモになる覚悟で...。

参照 "Histology of the Nervous System of Man and Vertebrates Vols.1 & 2"