独立行政法人 理化学研究所 神戸研究所 発生・再生科学総合研究センター

2012年9月10日


2つの神経堤症に共通する原因遺伝子PHOX2B
PDF Download

神経堤細胞は、脊椎動物の発生初期に神経管と予定表皮外胚葉との間に生じ、その後全身へと移動して、末梢神経系や頭蓋組織、色素細胞、心臓の一部やホルモン産生細胞など、実に多様な細胞や組織へと分化する。そのため、神経堤細胞の移動や分化に異常によって生じる疾患は非常に多岐にわたるが、それらを総称して「神経堤症」という。多くの神経堤症は遺伝子の変異によって引き起こされる。中でも、神経芽腫とヒルシュスプルング病は自律神経系の神経堤症の代表的な疾患だ。どちらも重篤な疾患だが、その発症メカニズムはこれまで明らかになっていなかった。

理研CDBの永島田まゆみジュニアリサーチアソシエイト(神経分化・再生研究室、榎本秀樹研究室長)らは、神経芽腫とヒルシュスプルング病という2つの神経堤症を同時に引き起こす患者に同定された遺伝子変異をマウスに導入し、これらの疾患発症の分子メカニズムの一端を明らかにした。この成果は、科学誌Journal of Clinical Investigation に9月4日付けで掲載された。永島田研究員は、現在は金沢大学 脳・肝インターフェースメディシン研究センターにて活躍している。


Phox2Bの変異による神経堤症発症の概念図:Phox2BSox10は相互に遺伝子発現を抑制して、前駆細胞からグリア細胞と神経細胞への分化のバランスをとっている。一方、Phox2B変異体ではSox10遺伝子の発現調節に異常をきたし、前駆細胞からの分化がグリア細胞に偏って起こる。


神経芽腫は交感神経節や副腎髄質に生じる悪性の小児がんで、国内で年間200例以上と患者数は多い。一方、ヒルシュスプルング病は大腸末端部の腸管神経系の欠損によって生じる腸管閉塞症の一種で、5000人に一人の割合で発症すると言われる。病態の全く異なるこれら2つの神経堤症は、しばしば一人の患者で同時に発症することが知られている。さらに興味深いことに、この神経堤症の併発例は、先天性中枢性低換気症候群(CCHS)の患者に非常に多く見られる。CCHSは中枢性の呼吸ができず、睡眠時など無意識になると呼吸が止まってしまう疾患だが、CCHS患者は神経芽腫とヒルシュスプルング病を併発するリスクが500〜1000倍に跳ね上がるのだ。

近年、多くのCCHS患者でPHOX2B遺伝子の異常が発見された。PHOX2Bはホメオドメインを持つ転写因子で、自律神経回路の発生に必須であることが知られている。さらに、CCHS患者に見られるPHOX2Bの変異にはいくつかのバリエーションが報告されているが、神経芽腫とヒルシュスプルング病を併発するCCHS患者では、変異によって遺伝子読み取り枠(ORF)のずれ(フレームシフト)が生じ、C末端側が過剰に伸長する変異タイプが多数同定されていた。このことから、このPHOX2Bのフレームシフト型変異がこれら3つの疾患の発症に関与している可能性が強く示唆された。そこで研究チームは、ヒトPHOX2Bのフレームシフト型変異をマウスに導入し、現れた症状を解析した。すると、作製した変異マウスは低酸素状態(チアノーゼ)で自発呼吸が乏しく、大腸では末端部の腸管神経が一部欠損しており、交感神経や副腎髄質では異所性の交感神経節の形成が認められた。つまり、ひとつの遺伝子変異によってCCHS・ヒルシュスプルング病・神経芽腫それぞれに特徴的な症状を再現することができたのだ。

自律神経前駆細胞は2つの転写因子Phox2BSox10を共に発現しているが、分化した神経細胞はPhox2B、グリア細胞はSox10だけをそれぞれ発現するようになる。そこで、作製した変異マウスの腸管神経および交感神経節における両細胞の分化の様子を調べると、どちらの神経系にも共通して、Phox2Bだけを発現する分化した神経細胞の割合が大きく減少し、Sox10を発現する細胞の割合が増えていることが明らかになった。また、本来Phox2BはSox10の発現抑制に機能するが、Phox2Bのフレームシフト型変異はこの活性が損なわれ、逆にSox10の発現を上昇させた。このようなSox10遺伝子の発現調節異常によって、グリア細胞への偏った分化が起きやすくなっていたのだ。

今回の研究から、Phox2BSox10という2つの遺伝子が、神経細胞とグリア細胞の分化のバランス維持に非常に重要であることが明らかになった。この分化のバランスが崩れることで、神経堤症が引き起こされるのだ。「今回の成果は、神経堤症の発症素地を分子レベルで理解するのに重要な知見となりました。しかし、これはほんの一部に過ぎず、神経芽腫・ヒルシュスプルング病ともに原因遺伝子は他にも多数報告されています」と榎本研究室長は言う。「マウスモデル等を用いてこれらの遺伝子の生理学的機能をひとつひとつ明らかにしていくことで、神経堤症の発症機構の解明と治療法の開発に貢献できると期待しています。」


掲載された論文 http://www.jci.org/articles/view/63401
 
関連記事 大腸神経系を形成する腸管神経前駆細胞の“近道移動”(2012年8月30日)


Copyright (C) CENTER FOR DEVELOPMENTAL BIOLOGY All rights reserved.