独立行政法人 理化学研究所 神戸研究所 発生・再生科学総合研究センター
2010年8月6日

ヒトES細胞が起こす細胞死のメカニズムを解明
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ヒトのES細胞やiPS細胞などの多能性幹細胞はマウスの多能性幹細胞と比べて幾つかの点で大きく異なる。例えば培養中に高頻度で起こる細胞死はヒト多能性幹細胞に特有である。細胞を一つ一つバラバラにして培養すると99%もの頻度で細胞死を起こすため、著しく細胞数を損なう。このような分散培養は高度な培養技術、例えば大量培養や細胞単離、遺伝子導入などに必要とされるため、臨床応用へ向けた大きな課題となっていた。

理研CDBの大串雅俊研究員(幹細胞研究支援・開発室)笹井芳樹グループディレクター(器官発生研究グループ)らは、ヒト多能性幹細胞を分散培養した際に起こる細胞死が、ミオシンの過剰な活性化に起因することを突き止めた。ミオシンの過剰な活性化は特有の激しい細胞運動「死の舞(Death dance)」を引き起こし、同時に細胞死の直接的な原因になっていた。この成果はアメリカの科学誌Cell Stem Cellに8月6日付で発表された。



激しいブレビング「死の舞」を起こすヒトES細胞(核と細胞膜をそれぞれ緑、赤で標識)


同グループは以前の研究で、ROCK(Rhoキナーゼ)と呼ばれる細胞内酵素に対する阻害剤を培地に添加することで、分散培養時の細胞死を大幅に抑制できることを明らかにしていた(科学ニュース:2007.5.28)。しかし、その作用メカニズムは未解明だったため、以来、リアルタイムイメージング法などを用いて細胞死の仕組みを詳細に解析してきた。

まず彼らが注目したのは、細胞死に先立って起こる激しい細胞運動だった。分散培養を始めた直後から細胞表面に多数の突起が現れ、それらが激しく突出と退縮を繰り返す様子が数時間に渡って観察された。このような現象はブレビングと呼ばれ、一部の培養細胞が死のごく寸前に一過的に起こすことが知られている。しかし、今回観察されたほど長く、激しいブレビングは知られていないため、彼らはこれを新たなタイプの細胞死として「死の舞(Death Dance)」と名付けた。

続いて彼らは、死の舞が起こる分子メカニズムを解析し、その原因がミオシンの過剰な活性化であることを突き止めた。ミオシンは細胞骨格タンパク質であるアクチンとともに働き、細胞の運動や形を制御している。そのため、ミオシンの過剰な活性化が死の舞を誘導することは予想されたが、同時に、細胞死の直接的な原因になっていることも明らかになった。詳しい解析を進めると、分散培養により細胞間の接着が失われると、その情報が細胞内因子であるRho、ROCK、ミオシンの順に伝えられ、ミオシンが過剰活性化されていた。先の研究で示されたROCK阻害剤による細胞死の抑制も、ミオシンの過剰活性化が抑えられるためであることが分かった。また、ミオシンの過剰な活性化を直接抑制することで、分散培養した際の細胞死をほぼ完全に抑制することができた。

一方、細胞の生存に関する発見もあった。細胞運動の調節因子として知られるRacというタンパク質に、細胞死を強く抑制する機能が見出されたのだ。分散培養時にはRho-ROCK-ミオシンの系が活性化されるだけでなく、Racの活性が急激に減衰していた。すなわち、細胞死シグナルの活性化と生存シグナルの抑制の相乗効果により、高頻度の細胞死が起きていたのだ。これら2つのシグナル経路はAbrという共通の因子によって制御されることも明らかになった。

今回の研究は、ヒトES細胞などのヒト多能性幹細胞に特有の新たな細胞死のメカニズムを発見しただけでなく、その抑制法を示すことで、大量培養や細胞単離など高度な培養法への道をひらいた。

さらに臨床応用の安全性を考える上でも重要な意味をもつ。ヒト多能性幹細胞を継続的に培養していると、ある程度の頻度で分散培養しても死なない「耐性株」が生じる。ES細胞やiPS細胞に由来する細胞を生体に移植する場合、もし未分化な細胞が混入すると奇形腫という腫瘍を形成する可能性があるが、特にこれらの「耐性株」は腫瘍形成率が高い。今回の研究に基づいて「死の舞」を観察することで、移植細胞の産生に用いようとしているES細胞やiPS細胞が耐性株なのか否か、予め選別することができる。

そもそも、分散培養時の細胞死はどうしてヒトの細胞だけで起こるのだろう。近年、マウスのES・iPS細胞は胚盤胞の内部細胞塊と同様の性質をもつのに対し、ヒトのES・iPS細胞はより発生の進んだ胚盤葉上層(エピブラスト)の性質をもつらしいことがわかりつつある。笹井グループディレクターは、「内部細胞塊は細胞極性をもっていませんが、エピブラストでは細胞は明確な極性をもった細胞接着により、細胞シートを形成しています。ヒトES 細胞と同様に、マウスのエピブラストを分散培養すると死の舞を起こします。今回観察されたミオシンの過剰な活性化による「死の舞」は、初期胚過程の多細胞社会形成における不思議な細胞現象を表しているように思われます」と話す。

 
掲載された論文

http://www.cell.com/cell-stem-cell/retrieve/pii/S1934590910003334

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